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美味しさ以上のもの

チルチンびと10号|1999年 秋

チルチンびと10号

 「ご馳走するわ」の一言で、若い友人たちが集まりました。今日の献立は、むかご飯、鰯の糠味噌炊き、味噌汁、肉桂餅等々です。昔なら日常茶飯の地味な献立も、若い人には非日常的な馳走に映るのか結構好評でした。
 工房の近くの藪では、我が家専用のむかごが採れます。そのむかごを使って今回はお客様の要望もあり、竈に薪をくべてご飯を炊くことになりました。「初めチョロチョロ、なかパッパ。噴きはじめたら火を弱め、赤子泣くとも蓋取るな」と祖母から教わった炊飯の教えもいまは昔なのでしょうか、若い友人たちはこの文句を聞くのも初めてなら竈を使うのも初めて、火吹き竹も、むかごを見るのも食べるのも、すべてが初めてづくし。煙で目は真赤に、煤で手は真黒にと悪戦苦闘の末、少しばかり煙臭く焦味のするむかご飯が炊き上がり、本日いちばんの食卓のヒーローになりました。


 メインディッシュは鰯の糠味噌炊き。我が家には九十年を経た糠床があります。父方の出身地、福岡県北九州市では糠床の味と古さを誇る風土があり、それを受け継いだ我が家にはこんなエピソードが残っています。遠縁の家に泥棒が入って糠床を桶ごと盗まれたというのです。百年を経た自慢の糠床を失った伯母は意気消沈。それを見舞った帰りに私が思わず「へそくりでも隠していたのかしら」とつぶやいたところ、母からたいへん叱られました。「大切な糠床に、そんなものを入れるわけがないでしょう」。伯母や母から見れば大切の順位は糠床が上。お金や財産は努力すればまた得られるけど、糠床の味や歴史は取り戻せない。なぜ糠床にそんなにこだわるのか、この年になって少し分かるようになりました。語り継ぐほどの家系図にも、守るべき財産にも縁遠い庶民の女にとって、自力で作り上げた糠床の味や歴史は何にも代えがたい誇りだったのでしょう。
 その自慢の糠床を母より相続して十五年。母には申し訳ないのですが、つい手を抜いての繰り返しで痩せ細ってしまいました。それでも今回、糠味噌炊きを振る舞うと決めてからは気合いを入れて手入れをしました。どんなに新鮮な鰯でも、最後に入れる一握りの糠味噌によって味が決まるのです。でも九十年の歴史を伝えるには一か月程度の気合いではやっぱり力不足の味でしたが……。
 今年も梨の花の咲く頃に、米麹と麦麹の合わせ味噌を仕込みました。「手前味噌」の語源すら忘れ去られそうな時代ですが、今日はその手前味噌を披露します。味噌そのものを味わってもらうための具なしの味噌汁。工房の畑まわりにある野蒜を刻んだ薬味だけをたっぷりと。
 昨年仕込んだ古い味噌には甘味を足して、柚子の皮、紫蘇の実、葉唐辛子などを漬け込みます。糠床も冬眠させなくてはなりません。秋の間引き菜に始まって白菜などの葉物が美味しくなる頃、不思議に糠味噌漬けの人気が落ちます。最近は茄子も胡瓜も一年中ありますが、糠味噌漬けに美味しいこれらは本来、夏の野菜。だから十一月から四月まで、白菜や大根の漬物に主役の座を譲り、糠床は冬眠。秋は本当に忙しいのです。
 食後の甘みには肉桂餅を作りました。小学生の頃、校庭をきれいに掃除し終わると、ガキ大将が木の葉を散らして小競り合いを始めるのがお決まりでした。その中に肉桂の葉もあったのです。匂いの良いその葉っぱを持ち帰った時、母が作ってくれたお餅です。先年、友人の家に肉桂の木があると知り、思い出しつつ作ってみました。母の時代と違い、ふんだんに砂糖を入れる今の餅の方が美味しいはずですが……。


 春は桜の葉、六月はさるとりいばら、夏は紫蘇、秋は肉桂、冬は椿等々。小麦粉や米の粉をこねて豆や芋の餡をくるむだけの素朴なおやつ。中身はほとんど変わらないのに、それを包む脇役の葉っぱにはちゃんと季節があります。季節だの匂いだの薬効だのは、幼く空腹だった私にはどうでもいいことだったはずなのに、思い出すのは美味しさではなく折々の季節の匂い、空気や温度、風景や会話です。そして今になって反省しています。私は娘や息子に美味しさ以上のものを伝えられただろうかと。