執筆、出版

暑い夏の幸せ

チルチンびと9号|1999年 夏

チルチンびと9号

 九州国東半島の付け根から西に広がる宇佐平野。降雨量が少なく温暖で比較的台風の被害も少ない当地では、乾物の加工とそれを使う料理がたくさん育ちました。瀬戸内海でとれる小魚や海老、平野で収穫される米と裏作の大麦・小麦、田んぼの畦に育つ畦豆(大豆)など。隣町豊後高田市の製塩と相まって、干海老・干麺・醤油などが作られています。
 天日干しのそうめんを氷水を張った器からすくい上げ、干海老の濃厚なだしで食べる幸せは、この九州の夏の暑さあってのことです。旧盆の供物にそうめん、旧盆の初盆会の茶の子がそうめん、お中元にそうめんと、それはやはり必要とする夏の食卓があるからにほかなりません。
 私が住んでいる漁師町・長洲のわずか五十戸の町内にも、うどん屋(製麺業)、海老舎(干海老業)、いりこ屋(海産物商)、醤油屋(醤油醸造業)があります。海老舎は正確にはありました、といわなければなりません。最近、地元でとれる小海老が減少し、輸入海老に押されて廃業。……それでも、そのほかはまだまだ健在です。
 夏の我が家の食卓に忘れてはならないものが、まだあります。それは鱈おさや干したけのこの煮染めです。どちらも長洲から車で1時間ほど山の方へ入った夫の出身地、日田市の旧盆料理です。
 鱈おさは鱈のえらを干したもので、姿はまるでデッキブラシ。どうみても美味しそうには見えませんが、その味は日田人を魅了して止みません。昔は小川の流れに3日〜4日浸けて戻したそうです。根菜を添えた煮染めは盆鱈と呼ばれ、旧盆に食べる精進料理で、日田の人しか知らない料理なのです。私も義母に教わるまで食べたことがありませんでした。


 なぜ日田だけに伝わっているのか?なぜ盆鱈と呼ばれるのか?なぜ精進料理なのか?不思議のついてまわる料理です。起源については昨年、日田市内の高校生がフィールドワークした結果、二つの説を推論しています。ひとつは山形県の庄内・米沢地方から北前船で運ばれた鱈が福岡を経由して日田へ伝わったという説。もうひとつは江戸時代の天領日田へ京からさまざまな鱈料理が伝わり、なかでも安価な鱈おさ料理が庶民に普及したという説です。
 ふつう精進料理といえば生臭い肉食を避けた野菜料理のことですが、鱈おさのデッキブラシのような怪奇な姿が魚を脱しているから精進だとか、精進落とし用の魚料理だったとか、食べるたびにあきもせず議論が繰り返されます。
 義母が作った盆鱈は実に美味しかったのですが、それを初めて口にしたときの私は、素直に「美味しい」とはいえない若い嫁でした。でも年を経た今では、あのときの義母の味に少しでも近づきたいと思いつつ料理しています。
 数日かけて水で戻さなくてはならない乾物料理はたいへんだ、と若い人たちはいいます。でも決してそんなことはありません。私の義母や母は忙しい家業のかたわら子供たちを育て、上手に料理をしました。当時は便利な家電製品もありませんから、いまの私たちよりずっと忙しかったはずです。


 母から「盆には正月、正月には盆のことを考えなさい」といいきかさされました。これは料理には、なにより手筈が大切という教えだと思います。鱈おさも干したけのこも調理の三〜四日前から水に浸し、朝夕忘れず水を換えて戻す、それだけです。油断して換え忘れると鱈おさは独特のにおいを放ち、台所が臭くなることもあります。でもそれはそれで家族の会話をふやしてくれます。食べるという営みの周辺には、こんな話題も大切なのではないでしょうか。
 三日後の、一週間後の、半年後の家族の喜ぶ顔を思い浮かべつつ手筈を整えて料理する。それが、義母や母たち世代の愛情表現であったように思います。