伝承料理

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地域に根ざす伝承料理

実践!伝承料理。レシピを伝承いたします。

● しゃこ汁

しゃこ汁
【材料:5人分】
昆布だし…1,000ml
うすくち醤油…少々※
皮つきシャコ…250g
青菜…好みで
柚子ごしょう…少々
※シャコの塩分を考慮する

【作り方】 ○シャコを洗い、皮付きのまま水を加えてすりつぶす
○すりつぶしたものをざるで濾す
○沸騰しただし汁を調味し、青菜の小口切りを加え、その上に、すりつぶしたシャコを回しかける
○シャコが固まったらできあがり、吸い口に柚子ごしょうを
(※高菜やほうれん草、ミツバ、コマツナなど季節の青菜を添えて味わって下さい。)

(ひとこと) シャコは1年中採れますが、柔らかすぎて流通ベースに乗らないものもあります。そんなシャコを食材として使おうと考えた料理です。



● いわしのぬか床炊き

いわしのぬか床炊き
【材料】
小イワシ
生姜
濃口醤油
砂糖
ぬか床

【作り方】 下ごしらえをした小イワシを、水・醤油・酒・砂糖・せん切りの生姜といっしょに炊く、味がしみたところで、ぬか床を加え、更に炊く。

(ひとこと) なんといっても決め手はぬか床。我が家のぬか床は、この料理のため100年余、大切に守ってきました。



● かち海老ちらしずし

かち海老ちらしずし
【材料:5人分】
米…500g
水…650g
かち海老…30g
ごぼう…50g
もどした椎茸…30g
みりん…適量
醤油…適量
煮豆…40g
酢…100ml
砂糖…80g
塩…2g
大葉…2〜3枚
ゆで卵…1個

【作り方】 ○米をといで、分量の水とかち海老を加えて、30分おいてからご飯を炊く
○ごぼうは笹がきし、下ゆでする
○もどした椎茸は粗みじんに切って、ごぼうと一緒に甘辛く味付けをしておく
○煮豆を作っておく
○炊き上がったご飯に、酢をあわせ具を混ぜる
○すしご飯の上に大葉のせん切り、ゆで卵の裏ごしを散らす

(ひとこと) かち海老(干し海老)、椎茸、煮豆の三点セットは、欠かせません。 季節によって旬の野菜を加えます。




季節の伝承ご飯シリーズ

金丸さんの料理のコンセプト何ですか?と聞かれます。
動物の、人間としての私の身体が欲しているものをつくる。食べる。

春になると、何故ふきのとうの苦みが欲しいの?
春になると何故すしや酢の物が美味しいの?
夏になると何故薬味飯やそうめんが、
秋には炊き込みごはん。冬はおこわ、鍋。

ジ〜と耳をすましてみると地元の食材や四季につながっていくのです。
それが手に入る田舎に住むしあわせを実感します。
季節のご飯をメインにつづろうと思います。


4月5月

浜防風ご飯


浜防風ごはん  浜防風はセリ科の植物で葉は三つ葉に似ており、茎は紫色、独特の風味があります。代表的な使用例は刺身のつまや酢の物。
 わたしは毎春、このご飯を一度は炊くのですが、ことしは何かと忙しく、とうとう浜防風摘みに行けませんでした。このことを知った友人から代わりに摘んであげようとか、スーパーに人工栽培のものが売っているよとか、畑に根を移植してはとか、たくさんの助言を頂きましたけれど、すべてありがたくお断りしました。
 一回のご飯のために、私が往復二時間かけてわざわざ出かけるのは、美しい国東の海岸に自生している浜防風を見たいからなのです。この風景に出合うために浜防風ご飯を炊いているようなもの。
 国東はかつて、白砂青松の海岸があちこちにありました。しかし、高度成長の流れの中で気付いたら、ほとんどが頑丈なコンクリートの護岸と化し、浜防風の自生する砂地なんて消えてしまいました。海の安全とか、いわゆる“近代化”とはこういうことなのだと納得していたはずなのに、やっぱり国東の海岸に行きたくなるのはなぜでしょう。
 わたしの住む町も広い道路、カラー舗装、外国原産の街路樹、ちょっとおしゃれな街灯、わたしもあこがれていた風景のはずなのに、演出されていない自然に心惹かれるのはなぜでしょうか。浜防風ご飯を食べながら、開発と自然を残すことの線引きの難しさを思うのです。
 小耳に挟んだ最近の情報に、消波ブロックを取り去って白砂青松の砂浜を再び造るという政府方針が出たとか。早春の浜防風摘みが、あちこちで復活するかもしれません。
 この紙面をお借りして、国東の皆さんに一言お礼とお願い。「美しい砂浜を守っていただき、ありがとうございます。乱獲はしませんので、これからも一握りの浜防風を摘ませて下さいね。」


2月3月

まて貝ごはん


まて貝ごはん  何十年か振りに、マテ貝採りに挑戦しました。全国有数の干潟といわれる豊前海の近くに住む私にとって見慣れた風景です。大潮の砂浜で、マテ貝の目を見つけ、食塩を注ぎます。そうすると、どうでしょう。マテ貝が急激な海水食塩の変化に驚いてとび出てくるところを素手で採るのです。なんとのどかでユーモラスな風景。そこには一線を引退した高齢者の姿がたくさんありました。自家用に、ご近所さんへのおすそ分けに、そして時には生計の足しにの漁業です。かつては、「まて貝御殿」が建ったといわれる時代もあった由。大きく様変わりしました。
 その折に学んだことの一つが、干潟は漁業の原点ということです。昔の漁船は木造でしたから、時々陸に揚げて乾燥させ手入れをする必要がありました。陸に上げるためには重機のない時代は遠浅の干潟が必要条件です。そしてその手入れの期間は当然休漁期になり、魚の乱獲防止になりました。近代的な現代の漁業では漁船はプラスチック製になり、重機が完備し、手入れも簡単に効率的になりました。それと引きかえに漁獲量は減少したのです。
 二つ目に学んだことは、昭和三十年代日本各地の干潟は次々と大型工業団地へ変身していきましたが、豊前海は幸か不幸か(?)その時代に乗り遅れ干潟が残りました。乗り遅れたのではなく、守り続けられて良かったという老漁師の言葉が胸に残りました。今まで、当たり前の風景、当たり前の句、当たり前の“まて貝”料理、美味しさの追求ばかりしていた料理を恥じ入るばかりです。
 自然や風土、それを守って来た人々の想いも伝えられる“まて貝”料理を作らねばなりません。
 さあ、浅春の醍醐味“まて貝料理”を「いただきます!」