私のこと

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海のもの、山のもの

ゆずプロジェクト応援して下さい。

ゆず(柚子・柚玉)プロジェクトを立ち上げました。

以前東京のデパ地下で柚子のあまりの高価さに
びっくりしたことがありました。
大分宇佐に住む私にとって
カボスやユズはごく身近な食材で
ご近所のどこのうちにでも転がっているような存在で
買い求めるというものではありませんでした。

ぶっかけしらす丼

近況報告 第2部

8月22日
大分県東部振興局主催の
大分県東部地区農林水産加工品の認定審査会の
審査員の一人として参加しました。

局長賞2点は
偶然にも
私が以前から応援していた知人たちが開発した商品でした。
他人ごとながらとってもうれしいことでした。

同時に大分県には
「こんな素晴らしい食材がいっぱいある」というを
改めて実感しました。

華上々(大分県豊後大野市 藤居醸造)


アルコールが苦手な私は
お酒や焼酎の味というよりは
そのお酒や焼酎の生まれた背景や
ネーミング、ケースやボトルのセンスの良さで
惹かれてしまう傾向にあります。

藤居醸造さんの「華上々」は
焼酎の初絞りでアルコール度数が44度。
という割には軽い飲み口で・・・
アルコールに強い子どもたちの言葉ですが。

みそ嫌いだった私

工房では花見仕込みのこの時期は
次から次へとみそづくりで
大忙しです。

ちなみにみその仕込みには
もっとも寒い時期に仕込む寒仕込み
花見の季節に仕込む花見仕込みなどがあります。

「どうして毎年そんなにみそ作りに精を出すのか?」
と聞かれたことがありました。
「なぜ?」自分でも考えてみました。
・・・みそが好きだったから
いえいえ、とんでもない。

いわしのぬか床炊き

「いわしのぬか床炊き」という名前を
初めて耳にする方や食べたことのない人にとっては
奇異な料理に思えるでしょうね。

北九州市から大分県北部にかけては
ぬか漬けをぬか床と呼んで大切にし
それをぬか味噌として料理に使う文化があります。
起こりについては諸説があるようですが
100年床を持つ家庭はたくさんあると聞いています。

「坐来」は大分の食材の宝石箱

わが家のぬか床炊きは、亡き母流にいえば
「たかが糠(ぬか)の料理、
他人さまにお出しするようなものではない。」という類の料理でした。

ですから「坐来」のデビューには、そうとう勇気がいりました。
ところが、この料理が梅原陣之輔料理長の手にかかると
たかが糠(ぬか)の料理が、銀座風に仕上がるのです。
まさしく魔法の手、磨きの達人なのです。

東京西銀座「坐来」のこと

私は「坐来」を宇佐の地からいつも応援しています。

東京西銀座にある大分県のフラッグショップ「坐来」に
わが家のいわしのぬか床炊きが
デビューしたことを、前のブログに書きましたが
「坐来」を私が応援している理由は
ぬか床炊きをデビューさせていただいたからではありません。

ぬか床の話~その5 百年床だから

ぬか床漬けの味は古さだけではないといいましたが
野菜の鮮度や、漬け時間、ぬか床の熟成度などで
どうにでも変化します。

けれども青魚(イワシ・サバなど)の
ぬか床炊きだけはごまかしが効きません。
ぬか床が決め手なのです。
わが家の自慢料理、いわしのぬか床炊きを
おいしく食べるために
100年もの間ぬか床を守り続けてきました。

ぬか床の話~その4 ぬか床は奥が深い・・・

一昨年、知人より20年大切に守ってきたぬか床の漬物を頂きました。 そのおいしかったこと!!

茄子、きゅうり、人参など
野菜のみずみずしい味に驚かされました。
野菜の味が生きていたのです。

わが家のぬか床の野菜はおいしいけれど
百年床の味が強くて
長い間この味に慣れていた私は
野菜の味を忘れていたような気がしました。

ぬか床の話~その3 わが家のぬか床の歴史

わが家のぬか床は父方の祖父母の結婚にはじまります。
才色兼備だった祖母は北九州の旧家に嫁ぎましたが
跡取りが生まれないうちに夫と死別。
実家に戻った後、祖父と再婚しました。
サラリーマンを辞めたソフト二人三脚で商売を大きくしていきました。
この時、旧家のぬか床を受け継ぐことなく新しいぬか床が誕生したのです。